サラダ
『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
この短歌、好きです。
一度しか食べてないけど、ずっと忘れられない味ってあるよね。
私は5年くらい前に訪れた、西馬込にあるカフェyohakで食べた塩サバのサラダの味が今でも忘れられない。
花粉症による目の充血、咳、鼻の痒みからくる小さなイライラのせいか、しょっぱいものが食べたくなって、このサラダの味をふと、思い出した。
ちょっとした思い出話をすると、私は大学3年生の秋、いわゆる人生の闇期に突入してしまい、精神的にも物理的にもとてもとても孤独だった時期があった。本当に辛かった。ある日いつものように大教室で一人で授業を受けていた時に、一人でいることがもはや滑稽で阿保らしく感じてしまい、衝動に駆られてインスタで見たこのサラダを食べに行くことにした。ろんのもち、ボッチで。
気づいたら教室を早足で抜け出していて、大雨の中、傘も持たずにこのカフェに向かっていた。カフェの外装は大雨で暗くて全然覚えていないのだが、お店の中は高い天井とシンプルなインテリアが印象的だった。男性の店員さん一人と、客が私一人だけの空間。コーヒー一杯と豊富な野菜と酸味の効いたドレッシングの組み合わせが抜群のサラダを頼み、居心地の良い一人の時間を楽しんだ。
自分がなぜこのような時期に突入してしまったのか、なけなしの頭で考えてみた。私は自分を客観視することができない人間なのだが、冷静に考えてみたら、原因を作っていたのは全部協調性のない自分だった。周りの人間は一切悪くない。
私はもともと人と合わせるのが得意じゃなく、気を使ったり、使わせたりするのも苦手だから一人でいる方が断然楽だった。不器用極まりない。人と仲良くなる努力すらしていないのに、妥協しかしていないのに、寂しさを覚えるようになり、やけくそになっていた。なんなら一人でどこまでも行動できる自分に酔っていたところがあった。
今、深夜、東京、夜風に当たりながらあの頃のことを思い出しながら書いていて、とても胸が苦しい。
未来のことなんて誰にも分らない。人生に安定なんてない。なんとなくつなぎ合わせて生きているんじゃないかな、と毎晩寝る前に思う。
でもさ、私の親戚のお姉ちゃんが教えてくれたのだけど、人生って結局後悔しながら、感謝しながら生きていくものなんだよね。
夜はダメですね。一人に溺れる。沈む。